創業のおはなし

当時26歳の佐藤佐吉青年が古町13番町に店を構えたのが昭和2年。 今の本店の場所になる。
元々は古町10番町で祖父の佐藤仙太郎の「手に職をもて」という教えに従い、新潟市内の菓子屋にて修業を積んだ。
おかし屋の屋号を「里仙」としたのは、敬愛する祖父の名前から頂戴した。(代々当主の名前が仙太郎であった)

おかし作りを追求

佐吉青年は20代になるとすぐに結婚し、それからは夫婦で助け合いながら家業に勤しんだ。
「とにかくお客さんが喜ぶ美味しいものをつくろう!」
材料、手間を惜しまず、本物の味をとことん追求する。
現社長まで引き継がれている里仙の信念は“正直で素直であること”。
近道を探そうとせず、手間ひまをかけてこそ出せる味わいがあるのであれば、そこを愚直に追求し続ける。
おかしとは「こう」であると見出せばそこからさらに磨きをかけ、より上を追及する。

お菓子作りは省けない手間がある。
それを省いてしまった時点で本物ではなくなってしまう。

里仙もなか誕生

当時、もなかは上位に位置しているおかしではなかったが、初代の佐藤佐吉が「もなかは美味しいおかしである。
これはもっと多くの人に本物のもなかを楽しんでいただきたい」 と広めようと決意する。
佐吉は特にもなかを愛し、追求を惜しまなかった。
新潟米を厳選し、香ばしくも餡との相性の良い皮作り。
あんこも丁寧にねりあげ、試行錯誤を繰り返す日々。
ただ甘い皮が付いているというありふれたおかしであったもなかを「食べたいもなか」
「美味しさが心に残る納得の行くもなか」を初代、佐藤佐吉は完成させた。
里仙もなかの誕生である。

今日に至るまで

第二次世界大戦時には、砂糖を手に入れることができなくなってしまった。
佐吉は潔く休業し、他の仕事をしながら凌いだ。
砂糖の統制が自由になって昭和26年に里仙を再開させた。
この再開にともなって、待ち望んでいた方たちに暖かく迎えられた。
里仙もなかが食べられると行列ができたものである。
ある時、季節の商品である「栗かん」が日本全国から注文をいただいたことがあり、
これがきっかけとなり、里仙の名前が広がった。
その後は、高度経済成長とともに、西堀店を開店。小林デパート(現新潟三越)、新潟伊勢丹と出店し、
現在も里仙のおかしは多くの人達に愛されている。

これからも変わらぬ味を大切に

常に挑戦者としてお客様を喜ばせようとする佐吉先代の心を引き継いでいく。